どうしてこんな不都合なレイアウトになってるのか、過去経緯を見てみましょ!
ってのが今回の話題でございます^^;
Google Earthの衛星写真に道路予想位置を置いてみました^^; |
「21世紀の森と広場」と松戸市の都市計画図を重ねてみると、不思議に思うのは公園内に何本もの道路が縱橫に計画されてることでして・・・・
現状でも縦(南北)に県道51号線(22m幅)が貫いているのですが、さらに都市計画3.1.2号線(40m幅)、3.3.5号線(25m幅)が東西に通る予定になっております。
松戸市都市計画図より「21世紀の~」周辺を抜粋 |
つまり、このまま予定通り道路が出来ちゃうと公園が4つ(ホールも含めれば5つ)に分断されちゃうってことですね^^;
まぁ、実際にはあの公園は周りが台地で窪地を中心に出来ているので、既存の県道51号船と同じくほとんどは高架方式で通すでしょうから、いちいち園内を移動するのに”横断歩道を渡って”的な不都合なことにはならないと思いますが、それでも景観上は邪魔くさいことおびただしいだろうなと^^;より問題なのは、都市計画3.1.2号線(40m幅)の方でして、現状貫いてる県道51号船が22m幅なのに対して約2倍の幅で、しかも公園造成時につくった池の上(バードサンクチュアリ周辺)を貫く予定となっております^^;
どうしてこんな”間抜けなレイアウト”になったのかと思い、都市計画図の遷移を調べてみましたら、
この3本の道路が計画されたのは1969年の都市計画図から。
1969年というとドラッグストアで有名な松本清氏が市長に就任された年で、この年に昭和44年版の都市計画図が発表され、しかも翌年(S45)別の版が発表されているんですよね。さらに興味深いのが、44年度版(1969)では、千駄堀区域(現在の公園エリア)は住居専用地区(第3種空地地区)だったのが45年度版(1970)では市街化調整区域に戻されております^^;
邪推しますと・・・千駄堀地区にゴミの最終処分場があったのは1976~1988年。
なんか大人の事情が働いたのかなと・・・・・^^;
S44版都市計画図とS45版都市計画図 |
じゃ、公園の歩みの方はどうなんだと調べますと、開園は1993年。
過去の都市計画図(S53版 1978)からも計画は読み取れず(もともと公園の記載のない計画図ですが)、ゴミの最終処分場閉鎖が1988年ですから、1980年代後半にすったもんだの議論があって、この公園の設置が決まったのかなと(処分場跡地を宅地開発する予定でバブル崩壊で頓挫という噂も・・・)
ちなみにこのエリアの県道51号線、公園造成とあわせて開通してるのですよね^^;
この奥に高架道が通ることになりますね^^; |
ちょっと話が逸れかかってますが・・・^^;
この3本の道路、公園が計画される遥か昔から予定されていて、むしろ道路予定地の上に公園がかぶさったというのが真相のようでございます^^;
でもね・・・だったらね・・・なんで道路が通る予定で公園をデザインするか、開園して20年以上たってるんだから道路を迂回させる計画を練り直さない?って根本的な疑問は残るわけでございます。
<武蔵野線 新駅 関連記事>
武蔵野線に「仮称 千駄堀駅」は出来るのか?④【松戸市側の構想】
https://cazcapricious.blogspot.com/2018/07/sendaborieki.html
CAPRICIOUS
https://cazcapricious.blogspot.com/2018/07/sendaborieki.html
CAPRICIOUS
<こんな記事も書いてます(。・_・。)>
<スポンサーリンク>
子供の頃、ザリガニやオタマジャクシを
返信削除捕りに行っていたあの千駄堀が。
今では新駅構想もあるとのことで、
やっぱり世の中は動いていくものなんですね~
と、感じてしまいました。
松戸に残された数少ない宅地化がそれほど進んでない地域ですものね^^;
削除最新の開発なら、最新の知恵を絞って行って欲しいなとちょっと思ったり^^;
今、公園になってる所は宅地開発の話があって
返信削除それを阻止する為に公園の計画ができたみたいです。公園計画が持ち上がったら、今度は自然を守れと壮絶な反対運動があったようです。
公園になっていなければ今は住宅街になってたはずです。
あみさん、コメントありがとうございます。
削除なるほど・・・そういう経緯なのですね。道路計画と公園の敷地計画がチグハグなのもそれならわかります・・・・というか、これだけの人口を抱える市なのに、いわば教えて戴いた経緯がなかったら、あの公園さえなかったって所にすごい寂しさを感じますね^^;