2017年3月3日金曜日

流山市のカタチの理由【地形図で見た流山】


『ウチの街はなんでこんな形なんだろう?』

って子供の頃地図を見て思ったりしたものですが、流山市も西の江戸川沿いと南の坂川沿い、北の運河沿いはわかるにしても。東はでっぱったり、ひっこんだり、柏市に食い込まれたり不思議な形をしていますよね。

Googleマップ(航空写真)とかも便利なんですが、市街化が進んだ今となっては高低差さえ読み取れなくなってしまって”まぁそういうことなんだろう”と疑問を引っ込めてしまったご貴兄も多いハズ(←多いと言ってネタにならないから^^;)

東京地形図による流山市全域

で・・・最近ワタクシがネットで見つけて喜んで見ているのが「東京地形図」っていうGoogleEarthのアドインなんですが、これで標高差をはっきりさせて街を見ると「あ~なるほど」とか納得したりするんですね^^;→松戸市編はコチラ

※一応おことわり~以下の内容はワタクシが各Webで調べた情報をくっつけたり、推測したりして書いているので間違っている可能性も多分にあります(違うよ~こうだよってのがありましたら、よかったらご教授下さい)。

キーワードは『可耕地』と『牧』!
牧については以前のコチラの記事をどうぞ!


【南部 東側】
名都借と野々下の間に柏市が出っ張っていて”なんでこんな食い込んでるねん!”って思っていたんですが、地形図で見て納得。出っ張ってるトコ台地なんですね^^;
つまり・・・これは柏市が食い込んでるのではなく、坂川&上富士川の河耕地を流山が取ってしまって、上野牧の南部分だった台地だけが柏市に属したってことと思われます。




【北部 西原・西柏台のおもいっきりの食い込み】
ココは、ワタクシが流山の地図を始めて見た時に「何で何で??」って食いついちゃったトコロなんのですが・・・・^^;

地形図で見ると食い込んでいる部分の正体が「台地(=牧)」であり、流山市に残っている部分が大堀川の上流(たぶん可耕地)であることがよくわかります。

西原&西柏台と書くとわからなくなりますが、旧地名十余二で調べると台地部分は明治以降の牧を開拓した入植地で独立した”十余二村”だったんですね。
で・・・十余二村だけが東葛市(今の柏市)に属したんで、あんな島状の領域が残ったと^^;

あ~やっと長年の疑問が解けた^^;
(それにしてもヨークマートの近くの数mしかない柏市の部分行ってみたいw)


ってことで如何でしたでしょうか?^^;
結構無茶と思える境界線も、
実は地形で見ると理にかなってたりするもんですね^^;

興味がある方は東京地形図のWebからデータをダウンロード。Googlle Earth(PC用)で読み込んで閲覧下さい。


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