2017年4月12日水曜日

流山橋にまつわる3つの”ホホォ!”【橋に歴史あり!】

国土地理院航空写真をGIFアニメ化(1963・1975・1980・1990・2017)
http://user.numazu-ct.ac.jp/~tsato/webmap/map/gmap.html?data=history

三郷方面に遊びに行ったりする時に渡ったり、江戸川土手をブラブラしながら眺めたり、何かとお世話になってる流山橋^^;
渋滞の名所でなんとかなんのかぁと思ったり、ちょっと上流に初代の橋脚が残ってたり、興味や好奇心を刺激される場所なんですよね。

今回は、そんな流山橋の3つの【ホホォ!】と思うポイントをつらつらと^^;
”しっとるわぃ!”とか”あたりまえじゃん”と思われる方ご勘弁^^;


【ホホォ!その1】
2代目 流山橋は二度生まれた!

クルマとかで通っているとあまり意識しないのですがこの流山橋【車道】と【歩道】が分離して架けられているんですよね。

2代目の流山橋が開通したのが1965年。この時は歩道のない(狭い路肩を人や自転車が渡る)橋として開通したようで、そのころ歩行者として利用していた人はさぞ怖かっただろうなと^^;
歩道専用の橋が、追加開通したのはよくわからないのですが、1975年の航空写真になく、1980年のにはありますのでこの間^^;つまり2代目 流山橋は2度生まれたってことにあいなります^^;
手前が歩行者専用橋 wikipedia ”流山橋”より
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%81%E5%B1%B1%E6%A9%8B


【ホホォ!その2】
初代 流山橋(土手も)は低かった!

今でこそ立派な土手が整備されて河川敷から見ると見上げるばかりの流山橋ですが、その上流の初代の橋脚をみると「あれっ??」。
河川敷から見ると目線より下に橋脚のてっぺんが見えるんですよね。

つまりこれは橋脚の上にあと2mぐらいは構造物があったとしても、1960年代の江戸川土手改修までは、土手が(今の高さを知ってる我々の感覚では)恐ろしく低かったということ^^;

今でも台風の後なんか三郷側のグラウンドが冠水してますが、あの高さまで水が上がってくるだけでも低い土手だと相当ドキドキしたんじゃないかと思われます^^;

初代流山橋 橋脚 wikipedia ”流山橋”より
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%81%E5%B1%B1%E6%A9%8B

【ホホォ!その3】
何故初代 流山橋橋脚は残ったか?

これはもう有名な話らしいのですが、初代流山橋が架かったのは1935年(昭和10年)。
その後”昭和の戦争降伏の時に柏の飛行場の兵士たちが進駐軍が来る前に橋から武器や爆弾を投棄した”という言い伝えが残っていたそうで、それが理由で2代目橋が開通、初代の橋を撤去する時、橋脚を残したようです。

この話には後日談があって、2004年に自衛隊が調査した所、爆弾・武器弾薬が相当数出てきて翌年引き上げたらしいです^^;

回収されたクラスター爆弾2個、15キロコンクリート爆弾7個、機関銃28丁、銃剣45丁、機関銃弾・小銃弾計約1万発(「こちらホワイトロック/本館」様から http://sazaepc-tasuke.seesaa.net/article/129910206.html)



うん^^個人的にはすっごく面白い!
旧橋脚も近い将来、爆弾問題もなくなって撤去されれのでしょうが
80年以上あそこにあると思うと1本ぐらい残してほしい気もしたりして^^;

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