2017年5月8日月曜日

埼玉南部に支えられた流山のみりん【みりんが生まれたバックボーン】

相変わらず”いい大人”は普通思わないような事を思いついては、Webで調べたり考えたりして喜んでる面倒くさい性格のワタクシですが^^;・・・・

「野田は醤油」で「流山はみりん」

などという話も、聞いた時に「野田は台地で大豆が採れるから醤油」で「流山は平地に近くてお米が採れるからみりん」かな・・・ぐらいで済ませればいいのですが、これだと何か引っかかっちゃうのですよね^^;
マンジョウWebより  https://www.kikkoman.co.jp/manjo/index02.html

マンジョウのWebを見てみると”流山近県で生産されていた名産のもち米とうるち米を使用していた点があげられます。”と書いてあるんですが、『名産のもち米』ってのに引っかかるんです^^;

なんでかっていうと、もち米ってワタクシの知ってる限り結構扱いが面倒くさい稲で、普通のお米の近くで栽培するのもダメ(受粉が混ざって味がおかしくなる)だし、そもそも”うるち米(いわゆる普通のお米)”に較べて収穫率が悪いので、どうせ作るなら”うるち米”を作るはずなのですよね^^;

そうなんですよ・・・なんでもち米作ってたんだ?流山近県!!^^;

『名産』なんていうと聞こえがいいですが、条件的に不利な「もち米」をあえて生産してたってことは、それを作らざる得ない理由があるはずなのですよね。

そこで推測するとマンジョウの上の文言で”近県”って言い方がポイントで、近県っていうコトは”流山でなく、その周辺部”ってことで・・・ご存知のように流山の東側は台地ですから、もち米を作るとなると現在の埼玉側とあいなります^^;

つまり、埼玉南部(三郷~春日部~越谷)あたりに、当時”もち米”を作らざる得ない事情があったんだろうなと^^;


そこで改めて、もち米の栽培上の特質を調べてみますと・・・

  • うるち米と比べ背が高い
  • 早稲収穫が出来る(寒さに強い)
  • 肥料をそれほど必要としない

※品種によっては上記に当てはまらない場合もあります。
太郎兵衛もちの稲穂 http://www.city.koshigaya.saitama.jp/kanko/tokusan/tarobei.html

なるほど・・・低湿地&水害の多い地域にあってるわけですね^^;

背が高いということは、台風なんかの増水にあっても穂が水に浸かりにくわけですし、早稲収穫が可能(寒さに強く、早めに植えて早めに収穫)ってことは、それ以前に台風シーズン前に収穫できるってことです。

肥料(といっても昔なので自然のミネラル主体)においても、河の下流部というのは(森が遠いため)それほど豊富ではありませんから、これも条件合致なわけでございます。

ここまでたどり着いて、三郷の地名を思い出してみると”早稲田”という地名があったり、越谷には”太郎兵衛もち”なる現在でいう糯米のブランド米も存在したそうでございますからフムフムと^^;

考えてみると、マンジョウの創業家「堀切家」は、江戸時代初期は三郷の二郷半用水周辺に住まわれていたとのこと。いろいろと辻褄が合ってくるのでございます^^;

今でこそ、江戸川がデンと横たわって、千葉と埼玉に分かれてますが
葛飾エリア一体となって流山特産のみりんが生まれたのだなと深く感じ入ってみたりするのです^^;




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