2018年1月13日土曜日

柏・松戸~このあたりも東海道が通っていた!?【水戸街道の原型】

「また、あざとい記事タイトルつけてるなぁ・・・」と歴史好きの一部の方には思われてるでしょうがお許しをいただくとして^^;

”水戸街道っていつからあるんだ?”って、いろいろ調べてみたら
このあたりに初めて通った幹線官道は【東海道】らしいのですよ^^;

東海道の道標と言われる葛飾区立石にある『立石様』/GoogleEarthから

ここでいう”東海道”というのは、江戸幕府が整備した五街道の東海道(53次)ではなく、飛鳥時代に定められた「五機七道」での東海道(古東海道と呼ぶこともあるそうです)。

「五機七道」とは、雑に言えば日本全体を畿内と7つの道(どう)に分けた律令統治の行政区分で、それぞれの分国に役人や軍隊を派遣するために同じ名前の官道が整備されたということらしいですな^^;

五機七道分類 wikipediaから


最初に整備されたのは、江戸などという都市は影も形もない飛鳥時代ですので、飛鳥(奈良)を起点に東海道は、東に向かい太平洋側沿岸を通り、今の神奈川県三浦半島あたりで東京湾を渡り、そこから北上して常陸国(ひたちのくに/いまの茨城)までってのが東海道という地域と幹線官道^^;

で、その最初の東海道の8世紀初頭から11世紀までのこのへんのルート変遷が下の図^^;

東海道のルート変遷/葛飾区役所 葛飾区史から
上の図表では、1回前に書いた「香取海」があまり反映されてない地図を使ってるので読み取りにくいですが、多分現在の市原あたりに上陸した東海道は、その後成田あたりから石岡までベチャベチャの低湿地を何度も通るルートだったはずで”やっとしっかりした地面があったよぉ!!=常陸”ってぐらいですから、そこそこの難路^^;

これじゃ”ツライ”ってことで、その後東京湾ぞいに回り込むルートに変更されて、さらに下総台地を北上、現在の手賀沼北岸を周って布佐あたりから香取海を渡海、現在の龍ケ崎あたりから常陸(石岡)へというルートに変更され・・・

この豊島駅から茜津駅(逆井あたり)・榛谷駅に至るルート(相馬道ともいうらしい)が
現在のこのあたりの水戸街道の原型になったようなのでございます^^;


ちなみに・・・下総国府である井上駅(市川)からは東松戸・常盤平あたりを通って、次の宿駅は「茜津駅(現在の柏市逆井あたり)」・・・・この古東海道(相馬道)が水戸街道の原型だとすると『僕!昔水戸街道の宿場町だったもん!』っていう松戸の自慢の1つが『俺!それ以前の東海道の宿駅だったもん!』って柏に言い返されることになりますな^^;

さらにちなみに、小金宿が南北に通ってるのも常盤平・八柱あたりで分岐して関宿に向かう道の途中だったら、さもあらんと納得したりします^^;



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