2017年4月20日木曜日

東葛エリアの区分けがあまりにも酷い件【衆議院小選挙区改定案】

<注:政治がらみの話ではありますが特定政党に利するものではありませんのでお許し下さい>
昨日(2017/4/19)衆院小選挙区の区割り改定案(国会議員を選ぶ地域分けを1票の格差がありすぎるから変えましょうねって案)が勧告(これで検討したらどうっすか?内閣さんという原案)されたんですが・・・・

東葛エリアの区分けがあまりに酷い^^;

まぁ、現状でも酷いちゃ酷くて今回は多少の調整ではあるんですが、それでも改めて見ますと酷い(←酷い酷いと文章はクドい)

千葉県の小選挙区区割り wikipedeia「小選挙区」より

松戸・柏・市川・船橋(※東葛エリアのみ抜粋)は、市の単位を分断^^;
ワタシャ松戸市民ですが、衆議院議員選びに関しては流山の皆さんと同じ7区(まぁ、それはそれでいいような気もする^^;)。んでも、市の中心の話からは遠ざけられた気分になってます^^;

で・・・自分の住んでるエリアじゃないけど
これはあんまりだろ?って思うのが13区

現状でも柏の旧沼南町地区が含まれてたんですが、今度の改定案では、そこに高柳出張所管内が含まれる形が検討されるそうで・・・・

柏の一部と鎌ヶ谷、白井、船橋の一部・・・・ぐらいまでは”まぁ・・・・区分けの苦労もあるからなぁ?”って思い我慢できそうな気もしますが、富里市とか印旛郡(酒々井町と栄町)まで入ってると相当住民意識が異なるんじゃないだろうかと^^;

成田を中心とした経済圏の人たちと首都圏住民じゃ相当望むこと違うでしょ?^^;(たぶんね、成田スカイアクセス沿線住民みたいな捉え方なんだろうけど)

自分がもし、このエリアに住んでたら13区って周囲とナンバリングが飛んでるコト自体不愉快で、なんか”面倒くさいから残り全部13区でいいや!”って適当に扱われた気分になりまする(¯―¯٥)

確かに人口も多い地域なので、区分け案つくるのも大変とは思いますが
どうせ是正しても1.95倍も格差があるわけだし(ワタシらの意見、半人前でしょ?)・・・
せめてもうちょっと
地域がまとまりやすい区分けにして欲しい
と切に願うのです^^;
下総国(県)として独立運動起こしますよ(*´∀`*)

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2017年4月19日水曜日

三郷にあった日本一の仕分け機能付きジェットコースター【武蔵野操車場のしくみ】

現在の武蔵野線「吉川~三郷」間に【武蔵野操車場】という日本一だった貨物列車用の施設があって、それの影響で開設当時の新三郷駅が「世界一ホームが離れた駅」としてギネス記録となったってハナシは、もう皆さんご存知のとおりなんですが^^;

wikipedia 武蔵野操車場から

改めて「東京地形図」ってGoogle Earth用のアドインで跡地を見ると
よくもまぁコレだけの土をこの場所に運んできて人工の台地と傾斜を作ったものだなと感心させられます^^;

GoogleEarth+東京地形図から武蔵野操車場跡地を見る

貨物列車の操車場というのは、要はあっちこっちから荷物を積んで集めてきた貨車を目的地別に組み直して、(長大な)貨物列車を仕立てて各地方に送り出すのが役割なんですが、平らな場所でいちいち機関車で外したりつなぎわせたりして編成を作ってると効率が悪い。

だったら、丘の上まで上げていって、後は重力の力で貨車が下ってゆく時にポイント操作でそれぞれの仕分け線に振り分けて編成を作っちゃいましょう!ってのが「武蔵野操車場」の基本的な仕組みだったらしいです(ハンプヤードとうらしいです^^;)。

雑に言えば、緩いポイント仕分け機能つきジェットコースターですな^^;

操車場にはいってきた貨車は、まず吉川側にもっていかれて、そこから三郷側の丘に押し上げられます。

んで、ジェットコースターのてっぺんが今のケーズデンキ吉川店の東側だったらしく、なるほど盛り上がっております^^;ここで必要に応じて切り離すわけです。

同上:一番高くなってる部分

そこからダラダラと下って新三郷駅手前あたりが一番低くなってるようで、ゴロゴロと下ってゆきポイント操作で仕分けられた貨車が、このあたりでガッシャンコンと繋がるわけですね^^;

同上:新三郷駅手前の低くなってる部分

んで、出来上がった編成は、三郷駅側に引っ張っていって出発を待つってのが、基本的な流れだったようでございます^^;



って、文書で書くと仕組みは簡単ですが、コレが約5kmある施設本物の貨車(15~25tある)をゴロゴロさせて1970年代にほぼ自動でやってたってこと考えるとものすごい施設です。

三郷ICとかこの操車場とか
三郷はスケールのデカイものに
縁が深いですね^^;


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2017年4月18日火曜日

流山&松戸 繁栄のヒミツ!【通行止めで得した町】

流山や松戸の”町の歩み”の説明を見ますと、必ず出てくるのが「河岸が設けられ、水運の要所として栄えました」という記述^^;

江戸川・利根川 水運ルート


こだわらなきゃ”ふ~ん”って読み飛ばすんですが、フトそこに引っかかると、江戸川に荷物を積んだ船がそれなりに通行してたとしても、それらは基本通り過ぎるだけで、茶店や旅籠を作ったとしても「ここで一休みするべ!」って船頭さんたちが寄るだけ・・・

それじゃ今の高速のPAと役割は変わらないわけで・・・
そんなことでそんな発展するか?
って疑問にぶち当たります^^;


突き詰めて言えば、河岸として発展するためには【荷物の積み下ろしをする必要】が、その場所にないとダメで、積み下ろしをするから人手も必要だし、一時的に保管する倉庫も必要、そこから乗せようとする荷物も集まってきて、始めて河岸として栄えるわけなんですよね^^;

流山や松戸は、東日本太平洋側沿いの物資(銚子の鮮魚とかも)が、銚子から利根川をさかのぼって関宿を経由し、行徳に至る川運のルート沿いにありましたって説明されるんですが、実はココに秘密が・・・

このルート比較的簡単に
事実上通行止め
になってたらしいのです

川といっても水運で考えれば『船の通れる川』と『船の通れない(浅い)川』に分けられます。
川っていうのは季節や天候で水量が大きく変わりますから、水が減っちゃうと船が通れない所が出来ちゃうらしいのですよ。

利根川・江戸川ルートで言うとその代表格が鬼怒川の合流域(今の常磐道とかTXが渡ってるあたり)だったらしく、鬼怒川が運んできた砂や泥がここにたまっていて、ちょっとした渇水で通行止め(季節や天候で浅くなって通れなくなる)になってたそうで^^;・・・

んでもって、いつの時代でも急ぎの荷物(船が通れる水位回復まで待てない)ってものはあるもので「こうなりゃ積み替えて陸上通過してでも運ぶべし!」って考えになり、柏の布施(現・布勢)から江戸川目指して陸上通った荷物が再び川舟に積み込まれるのが流山、もうちょっと手前の木下(布佐)で陸揚げして江戸川に運び込まれた場所が松戸ってことになるらしいのでございます^^;



なんでこの2ルートかっていいますと、その間には水運に適さない手賀沼がベロンって居座ってまして、手賀沼の西側を通るか、東側を通るかの違いだったらしいのですよね^^;
(ちなみに江戸川の水運諦めて、木下から行徳までの陸路が木下街道だそうです)

ちなみにこの銚子~関宿~行徳ルート
順調でも3日かかったそうです^^;
鮮魚に関しては、時間短縮で一部陸上ルートもとられてたとか^^;


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2017年4月17日月曜日

新松戸は野暮だった(¯―¯٥)【笛吹市住民の知恵に脱帽したお話】

週末、桃の花を見に山梨県の甲州市~笛吹市あたりをブラブラしておりまして^^;
今回は、レンタサイクルを借りて観光地を巡るというよりも、地域いっぱいに広がる桃の花を堪能しまくってたわけなんですが・・・・

笛吹市の旧一宮町あたりを通ってると、
小さな交差点にこんなカワイイ表示が^^;


まぁ、実際にはワンちゃんは停止線とかわかんないから、子どもたちや犬のお散歩を楽しむお年寄り(歩行者)向けの表示なんでしょうけど、「おっ?」って思う表示なんですよね^^;

しかもこの表示、ここ一箇所ではなくて、大小合わせていくつもの交差点に整備(?)されており、人の足型や靴の形などもあり、なんか見つける毎に妙にほっこりした気分になるんです^^;
(別にコレを見に行ったのでないので、たまたま見かけた場所だけですが・・・)


んで思い出したのが、地元新松戸の歩道に書かれてたコレ^^;

全くの主観ですが
あぁ我が地元は笛吹市の人々に較べて
知恵が足らないなぁと^^;

目的は多分一緒。
ただ、笛吹の表示はなんかほほえましくて”粋”なんですが、新松戸のは”野暮”。
笛吹のは、たぶん住民の方の手作り・・・近所のは、市が業者には発注したもの。

もちろんね、行政が公的に定められてない表示をしてうんぬんとか、いろいろ議論はあるかと思いますが、個人的には立派な歩道や頑丈な柵、業者の書いた注意書きより、知恵の行き届いた笛吹市みたいな表示が事故を減らすんだろうなぁと感じます^^;

笛吹市の旧一宮町エリアの皆さん
皆さんの町はとても素敵です^^;



せっかくだから、素敵な甲州市&笛吹市の桃の風景もペタペタと





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2017年4月14日金曜日

実は我が地元、太古関東の中心だったのかもしれない【総国(ふさのくに)のお話し】

ワタクシが普段からブラブラしている松戸・柏・流山・三郷地域は、昔の分国で言えば下総国[しもうさのくに]でございまして、これとセットになって市原・木更津・茂原あたりが上総国[かずさのくに]だったことは、皆さまご存知のとおりでございます。

流山市webより 下総国 http://www.city.nagareyama.chiba.jp/life/22/184/8883/023260.html 

でまぁ・・・結果的に上下2つに分けられたとしても下総上総の
【総】ってどんなとこ?」って思いついちゃったのが、ついさっき( ・`д・´)
早速調べてみましたよ^^;


”総”は、もともとは”捄”とも書いたそうで【総国(ふさのくに/捄国)】というのが、後代の下総上総を中心にあったそうでございます。

で・・・”捄”っていうのは麻の実のことらしく、つまりヤマト王国(関西)あたりからみると
麻のとれるトコ←オイ
って認識だったんですね^^;(今だと落花生国とか葱国とか小松菜国にされてたかも)

麻(七味唐辛子の粒のやつですね) wikipediaから https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%B5


この時代の地域ネーミングって群馬&栃木あたりが蝦夷人(毛人)のいるとこで毛国(けのくに)、峠を越した向こうだから越国(こしのくに)と非常に  雑  ダイレクトで好きですわ^^;


興味深いのが総国は、実は南関東一体を含む呼び方で、下総&上総に分ける遥か前に総国(ふさのくに)の一部を(関西からみて)総上[ふさかみ]、総下[ふさしも]に分けて、それが転じて相模(さがみ:フサカミのフが取れ訛る)、武蔵(むさし:フサシモのモが取れて訛る)って説もあるのがとっても愉快^^;

わ~はっはっ!
この説によれば東京神奈川埼玉より、チバラギと苛められたワタクシたちのエリアが本家本元ってことになりますな^^;
だから何だ?というツッコミはなしの方向でw


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