2017年7月10日月曜日

マツキヨの第一号店は柏にあった??^^;【柏・流山・三郷・松戸エリア 創業第1号店物語①】

人口密集地であるわがエリア^^;
これだけイロイロなお店があると中には『ここが全国一号店!』ってチェーン一号店もわがエリア(柏・流山・三郷・松戸)に存在するわけで、今回はその【わがエリアのチェーン第1号店をまとめてみましょう!】って企画でございます^^;

トップバッターは『マツモトキヨシ』!
なんと柏が第一号店だったそうでございます!(・。・;
「え?」って思った方多いのでは?^^;

在りし日の「マツモトキヨシ 小金店」(現在は交差点の反対側に移動)~GoogleMapから
現在全国760店舗を誇るドラッグチェーンのマツモトキヨシ。
新松戸に本社もあり、創業者が松戸市長も務めたこともあることから『当然1号店は松戸だろ??』と思ってる方も多いと(ワタクシも今までそう思ってました^^;)思われますが、実は「柏が第一号店」という話もあるようなのです^^;

マツモトキヨシの第1号店話は、創業者 松本清氏がアイデアマンだっただけに非常にトリッキーで、公式ページでも[1932年12月26日 小金店開業]と記されてるんですが、これは「松本薬舗」というありふれた名前の薬局。

マツモトキヨシの商号をつかい始めるのは1951年(法人名は1953年)でして、その時北小金のお店も「マツモトキヨシ◯号店」を名乗らせるんですが、これがマツキヨに言わせると【22号店】^^;

実は、最初から[20号店]以上の数字を名乗らせることで”20店以上あるすごい薬局ですよ!”ってトリッキーな訴求をしてたらしいのですよね^^;(もともと選挙も睨んでお店の名前(屋号)を自分の名前にするような人ですから^^;)
※”21世紀を睨んで20台から”とかも思ったのかもしれない^^;


で!創業店と公式には言ってる現存の北小金店が【22号店】なんですが、
実は柏に【21号店】が、あったらしいのです^^;(今は閉店した店舗)
※FBにて柏神社隣の店舗がそれに当たるという情報を戴きました(但し、看板には588号店と書いてあります)

なんでこんなややこしいことになってるのか、公式ページには”マツモトキヨシ 柏店 第21号店”について触れてないので推測するしかないんですが、年代を聞いて思い当たるのが1954年の小金町の柏と松戸の合併騒ぎ^^;

当時県会議員だった松本清氏は、小金町と柏との合併を進めた有力政治家の一人だったらしいのです^^;
もし、小金町が東葛市に所属したままだったとすれば、柏は松本氏の地盤としたい町だったのだろうと愚考するわけです^^;

結局、すったもんだの末、小金町は松戸に合併され、松本清氏もその後松戸市長までなるのですが、この時しこりが残り、本来のマツモトキヨシ1号店(21号店って名乗っていたけど)だった柏店は、黒歴史として葬られたのかなと推測する次第でございます^^;


話が長くなってきてしまったので、その他の一号店ネタは次へと続く^^;


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2017年7月9日日曜日

298号沿いに道の駅来春OPEN予定\(^o^)/【(仮)道の駅「いちかわ」/国分6丁目】

(仮)道の駅「いちかわ」イメージ~市川市Webから

今回は、いつもの流山・三郷・柏・松戸エリアをちょっと外れて市川の話題ですが^^;

外環道千葉区間の開通とほぼ同時(2018年3月)に
298号線沿い(市川北IC最寄り)に『(仮)道の駅「いちかわ」』がオープンする予定だそうでございます\(^o^)/



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2017年7月8日土曜日

流山!”○号公園”の謎に迫る^^;【ネーミングルールを推測してみました】

桜の花びらでお化粧した「南流山3号公園」のシンボルさま

流山市内をブラブラしていると”変わってるなぁ(あくまでも個人の視点です^^;)”と思うのが公園の名前の付け方。

『✕✕ 公園』(✕は地名、○は数字)というのを全域で見かけるんですよね^^;

昔から流山にお住まいの方からは”何が変わってるん??”って逆に聞かれそうなので、そのココロを説明しますと・・・^^;

公園の名前って一般的には「✕✕公園」とか「(植物の名前)公園」とかが多くて、同じ地域に複数公園がある場合でもせいぜい「✕✕第一公園」とかだろうなぁ・・・という感覚でございまして”【○号公園】って名付けは【号】っていうのがすごく嚴めしいな!”って感じるわけでございます^^;


で、そんなことを思うと調べたがるのがワタクシのメンドクサイ性分なのですが、さすがの流山市も公園の名付けルールまではネットに載せてくれてないようで直接的な解説を探すことは挫折^^;

そ~なると周りから固めていって推測するしかないんですが、いろいろ見てるうちになんとなくルールが推測できました^^;


まず、ワタクシたちが街中で見かける公園というのはほぼ3種類(特殊なものは除く)に分けられるそうで・・・・(wikipedia 公園の項から
街区公園(従来は児童公園と称した/0.25haを標準とする公園)
近隣公園(2haを標準とする公園)
地区公園(中央公園とされることが多い/4haを標準とする公園)
の3つがあるそうです。

で・・・流山市の場合、この区分けをネーミングでしっかり分けてるようで、地区公園は「南流山中央公園」や「東深井地区公園」、近隣公園も「三輪野山近隣公園」とちゃんと名前で区分が分かるんですよね^^;

三輪野山近隣公園~GoogleMapから
東深井地区公園~GoogleMapから


そう^^;ここまで書くと察しの良い方はおわかりと思いますが

流山の『✕✕ ○号公園』っていうのは、街区公園につける名前なんですね(*´∀`*)

『✕✕ ○号公園』って名前だったら、遊具とかもある街区公園と思って良いと^^;(多分、街区整理の時にルールに従いネーミングしている)
すごい律儀というか街の性格が表れてますね^^;

ちなみにこの『✕✕ ○号公園』という呼び方、流山だけでなく全国でもいくつかの自治体は同じようにネーミングに「号」を使用してるようでございます^^;(流山と同じネーミングルールかはわかりませんが^^;)

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2017年7月7日金曜日

水戸街道、別の名前で呼ばれておりました^^;【陸前浜街道は、水戸街道】

前回の「常盤台新駅」のエントリーを書く時、改めて柏周辺の昔の地図を見ていたんですが・・・・眼の隅に止まった表記に何か違和感が^^;!?

明治大正期地図~柏駅周辺 ”かしは”の表記がかわいい^^;

水戸街道(バイパスが出来る前の旧道)に
『陸前浜街道』って書いてあるんですね^^;

”なんでやなんでや??^^;”と思って調べてみましたら・・・歴史を辿って経緯をしっかり書くと結構面倒くさいので、はしょって直接の理由だけ書くと・・・
明治5年(1872年)4月29日に武蔵国の千住から陸前国岩沼までの太平洋岸の街道を今後「陸前浜街道」と呼ぶという通達が出されたことによる。陸前浜街道の名が正式名称として用いられたのは明治18年(1885年)2月に国道に番号制度が導入されるまでのわずか13年間に過ぎなかったが、番号導入以後も五万分の一地形図をはじめとする公的な地図においても番号ではなく「陸前浜街道」の表記が用いられた(Wkipediaから

なるほど、公式に『陸前浜街道』と呼称せよと言われた時代があったわけですね^^;

ちなみに・・・端折った部分をこのブログらしく雑にまとめますと^^;

もともと(特に江戸期以降)道の呼び方というのは、その道の代表的な目的地を冠することが一般的だったようで、例えば水戸街道を例にとっても、江戸周辺の人は”水戸街道”水戸の人は”江戸街道”と呼んでいたそうでございます^^;
(柏・松戸あたりだと水戸藩(江戸常駐組)と付き合いが多いから、”水戸街道”と呼んでいたのでしょうね^^;)

感覚的にはワタクシたちがご近所同士で「○○へ行く道!」っていってるのが、一般化する感じですわ^^;

で・・・・それだと土地によって呼び方がマチマチで面倒くさいから『陸前浜街道って呼ぶように!』ってお上が明治の最初に号令したんですが、なかなか人の口には浸透せず、その後国道のナンバリング等もあって、あいかわらず”水戸街道(6号線)”と呼ばれ続け、昭和に入って愛称として追認して現在に至るって感じらしいです^^;

もしこの呼び方うちのエリアでもが広まっていたら・・・
東京からタクシーで帰る時「陸前浜街道を通ってお願いします!」って言ってたかも^^;
なんかとんでもなく遠く行くような言い方になりますな^^;



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2017年7月5日水曜日

先を越された新駅構想【東武アーバンパークライン[仮]常盤台駅】

首都圏の新駅構想をまとめた「関東1都6県の鉄道の将来-新駅一覧」というWEBがありまして、時々見て喜んでいるのですが・・・^^;

そのWEBの東武野田線(アーバンパークライン)の項に
『[仮称]常盤台駅/柏~新柏間』というのがございます^^;

引用させていただくと・・・・
東武野田線【常盤台】柏~新柏
周辺住宅地も駅ができるのを見越して区画整理されている。柏サッカー場最寄駅としても期待を寄せる。(関東1都6県の鉄道の将来-新駅一覧から


 ”周辺住宅地も駅ができるのを見越して区画整理されている”ってのに惹かれるじゃないですか^^;
早速GoogleMapで覗いてみたのが、以下の写真でございます^^;


なるほど・・・駅前広場らしきものが見受けられます^^;
「駅前広場」になる予定?だった場所の雰囲気

だいたいの場所はコチラ
もし、駅ができていたら気持ち良い駅前通りが広がっていたのかなと^^;
現状の写真だけをみると”ホームや駅舎を作る余地がないじゃん!”って思うのですが、実は新駅構想時には野田線は単線^^;
ホーム&駅舎の余地を複線化時に使用してしまったらしいのですよね^^;


この新駅構想、コトの起こりは古いらしく一番最初に常盤台周辺が区画整理されたとき(1950~60年代)には、駅前広場予定地を含め既に今のような形に整備されおります。

1963年の航空写真。すでに駅前広場が確保されてます(国土地理院航空写真から

1970年地図。この地図だとホントに駅があるようですね^^;(同上

つまり、「新柏駅」開業前の柏駅から船橋に向かって次の駅が、「増尾」だった時代にもう構想されていたらしいのですよね。

ところが駅前広場まで準備したのに、その後の進展はほとんどなく(調べてみましたが東武とどういう話になっていたのかはわかりませんでした^^;)・・・・
1958年には「江戸川台駅(流山市)」開業、1968年「七光台駅(野田市)」開業と野田線自体の周辺開発は進むのですが、常盤台駅構想は放置^^;

そしてこの構想を追い越すように1983年には『新柏駅』が開業^^;
「新柏駅」開業により常盤台以南(豊住とか永楽台)の新駅ニーズが薄くなってしまい、最初の開発から20年以上新駅の話も都市伝説化しはじめた頃に・・・

トドメとして1991年の柏~新柏間 複線化時に複線化のためにホームを設置する土地を使用され、
事実上、新駅が出来る可能性は限りなく低くなったということらしいです^^;

今でも実現すれば「日立柏サッカー場」のアクセス駅としても価値がありそうなんですが、それを考慮するとさらにホーム等を広くとらねばならず、土地の余裕のない今となっては周辺の立ち退きエリアが増えそうなので難しいかもですね^^;

PS. 余談ですが改めて柏駅東側の住宅地の地割って凝ってるなと^^;
  斜めに道路を走らせたり、円状の部分があったり、いろいろ工夫されてますよね^^;





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