新京成の原型といわれる路線が、旧日本陸軍鉄道連隊の演習地。
雑に言えば、戦地で鉄道を敷設する練習を今の新京成路線を使ってしてたわけですね^^;
現在の新京成路線図(wikipediaから) |
新京成がやたらグネグネ曲がっているのは、敷設の練習用って側面もあったらしく、払い下げが行われ新京成として生まれ変わる時に、ある程度はまっすぐに引き直して開業したらしいのですが・・・・
んじゃ、もともとはどんなルートを走ってたんでしょうかね??
ってのが今回のお題でございます^^;
参考としたのは「Googleマップを使って過去の地形図や空中写真を見る」の昭和初期5万分の1地図。この地図で旧日本陸軍鉄道連隊路線を辿ってみました^^;ピンク色のラインが【旧日本陸軍鉄道連隊路線】。今の新京成と微妙に通ってる場所が異なり、カクカクしてますね^^;
んじゃ、これを現在の地図に重ねると!!
結構、松戸市内でも路線を修正してるのが見て取れます^^;(※多少は地図データそのもののズレもあります)
松戸~上本郷間はほぼ新規敷設、松戸新田~みのり台間も短絡して引き直し、みのり台~八柱~常盤平間は、ほぼ現在と同じ路線ですが、そっから北に思いっきり逸れて、五香~くぬぎ山間は現在とほぼ一緒って感じですね^^;
和名ケ谷とか二十世紀が丘の人は「うわっ!このままだったら近くに通っていたのに!」って方もいらっしゃるんじゃないでしょうか?^^;(このまま江戸川渡らせて、金町で京成金町線につなげてもよかったのに^^;)
んで新京成というと、今となっては松戸や船橋を通る電車で柏市は関係ないよ!
って思われておりますが・・・
常盤平あたりの旧路線をアップで見てみますと・・・
↓
なんと現在の南増尾や青葉台をもともとの路線は通過^^;(ぎりぎりですが^^;)
このまま開通して駅を作ってくれれば柏の電車でもあったわけなんですね^^;
このルートを頭に入れて、改めてGoogleMapなんかを見ると路線跡が道路や土地の区分けに少しだけ残っていて結構興味深いです^^;
その他にも新京成には、松戸~柴又までの延伸計画もあったそうですが、それは機会があればまた今度ということで^^;
改めて・・・開通70周年!おめでとうございます!
<こんな記事も書いてます(。・_・。)>
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旧陸軍の線路だと新京成線はさらに低速だったでしょう。
返信削除確かに^^;
削除多少まっすぐに引き直した今でもカーブおおいですからね^^;
全線を通して乗る人(常磐⇔総武の連絡)は少なそうですね^^;
大変興味深く見させていただきました。
返信削除面白かったです。
現在の常盤平駅ができる前、
旧・金ケ作駅があって、場所は現在の常盤平駅そのままの場所ではなく、
現在の常盤平駅より八柱駅寄りの場所にあったと聞いた事があります。
詳細な場所はわかりませんが。
YOUTUBEに「新しい都市」というタイトルの動画がありました。
常盤平が開発されるときの昔の動画のようです。興味があったら見てみて下さい。
https://www.youtube.com/watch?v=OXhLEpVqLpU&list=PLsQgE6NbkmtiiUri2UtFaH6o1TN1oyXOM&index=6&t=1543s
匿名さま、コメントありがとうございますm(_ _)m
削除ありがとうございます。
紹介していただいた映像、すごい興味深かったです。
まさに”松戸の黎明期”という感じですね。この映像に出てくる引っ越しの感覚が、なんか松戸の東京に対する感覚の一端になってるような印象を受けました^^;