2018年1月9日火曜日

柏・松戸・流山 身近にあった日本最大の内海【香取海~かとりのうみ】

平将門公の逸話を始め、このあたり(柏・松戸・流山)の江戸期以前の歴史を辿ってると、どういうわけか”T”字型に人がウロウロ(このあたりは「T」の下の棒あたり/軍勢の移動とかモロモロ)してることが多く、どうも現代の地理感覚からいうとしっくり来なかったのですが・・・・

このあたりの東側、日本一の内海”香取海(かとりのうみ)”があって、常陸とは切り離されていたのですね^^;


香取海の名残りでもある手賀沼(虹が出てますよ^^;)

”香取海(かとりのうみ)”がどのぐらいデカかったかというと下の図の通り^^;

利根川下流河川事務所 webから http://www.ktr.mlit.go.jp/tonege/tonege_index016.html
博物館なんかで「縄文時代関東の大半は海でした」って聞かされても、それは3500年も前のことだから”へ~”で済ましちゃうのですが、おおよそ1000年前(つまり平安時代)でもこんなデッカイ内海が今ワタクシたちの住んでる下総台地の東と北側にあったわけでして・・・

チーバくんに例えれば鼻先部分から下だけでかろうじて本州とつながってるのに近い状態^^;


今でこそ、霞ヶ浦としてしか香取海の鱗片は残っていませんが、もちろん手賀沼は香取海の一部で、柏から我孫子~布佐は香取海に突き出した岬ですし、今の利根川筋も香取海の湾入部で坂東市あたりまで食い込んでおります^^;

このへんから成田に陸路で行くには八千代・佐倉あたりをぐるっと回らないとダメ^^;
土浦・水戸に陸路で行きたかったら北東に行きたいのにまずは北北西に向かって関宿まで北上してから、西に移動と相成るわけです^^;

実際の所・・・香取海の大きさは資料によってマチマチで時代を経るにつれてだんだん小さくなってはゆくのですが、恐らくは土木技術が進み関東の川筋が大きく変えられる利根川東遷。荒川西遷までは基本的には変わらず、徐々に川に土が流され浅くなったとしても葦の茂る湿原として江戸開府までは残っていたのだろうなと思われます^^;

つまり・・・平将門の時代から戦国期まで、柏・松戸あたりで南北軸でヒト・モノが動くのはこの地形が強く影響^^;
江戸開府以降の東西軸でついつい考えがちなワタクシたちとは感覚が違っていたのですね^^;




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