2017年2月3日金曜日

新松戸駅に快速用のホーム用地ひねり出す方法思いつきましたよ^^;


新松戸に住んでかれこれン十年にもなるワタクシ。

思い出してみれば、以前は選挙の度に『新松戸に快速を停めましょう!よろしくお願いします!』と叫ぶ県会&市議の候補者がいっぱいましたが、聞く度に思っていたのが

どんな魔法使えば、
ホーム用の土地がひねり出せるねん!
って感想ですね^^;



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2017年2月2日木曜日

節分~栄枯盛衰【恵方巻きだけじゃない節分】


商魂たくましくと言うか・・・一部関西の風習がコンビニのプロモーションのおかげで全国区になっている恵方巻き^^;

ヘリクツこねますが、太巻きって切った時の見た目がキレイだから楽しいのであって、アレを1本丸噛じりしろってのは、売る方の理屈(人数分売れる)だけが見え透いちゃって好きになれないワタクシです^^;
(本来の地方の風習として食べてる地域は素敵だと思います^^;/太巻きではないらしいですね)

んで『豆まき』は基本として、他にどんなこと地域ごとにするのかなぁと思って調べたら、他にもイロイロ楽しそうな過ごし方があるのですね^^;

  1. コンニャクを食べる(「砂下ろし」といって胃腸に良いそうです/四国とか)
  2. けんちん汁を食べる(寒い時期の行事だかららしい/関東地方)

さらに、もう一個!こっちは栄枯盛衰で衰えた方なのですが【柊鰯(ひいらぎいわし)】というのが以前は盛んだったそうです。


その名の通り、柊の枝にイワシの頭を指して玄関に飾る風習らしいのですが、「なんで廃れたのか?」画像を見るとわかります^^;




シュ・・・シュールすぎる^^;

イワシに柊刺してるし・・・w
そういや去年西の方でスケートリンクにサカナを氷漬けにして問題になってたけど・・・コレハ^^;

クリスマスリースとかなら、家の入口に飾りたくなりますが、コレもう生理的にダメな人もいるんじゃないでしょうか^^;
さらにね・・・【柊鰯(ひいらぎいわし)】を飾る意味合いなんですが・・・”(鰯の頭の)臭い匂いで鬼を追い払う!!!”
いやもう・・・マンションとか密集した住宅地でやったら苦情が来そう^^;
そりゃ廃れるわな・・・と妙に納得したネタでした^^;

でもね・・・そういうわけなんで
節分の時期だけは鰯の頭臭くても
文句言わないようにしようと
心に誓ったりしたのでした^^;
(どんな臭がするのかわかりませんが^^;)




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2017年2月1日水曜日

イメージ良く松戸の昔を語ろう!【松戸の半分は昔”牧”??】

【古都京都】などと言われると言葉の調べも美しく”行ってみたいなぁ~”という気にさせられます。

昔どんな場所だったかというのは、歴史云々の面倒くさいハナシでなく、今も伝わる情緒や雰囲気として残っているから、ワタクシたちはそんなフレーズに惹かれるんですよね^^;


では、ワタクシの住む松戸はと言うと・・・【宿場町 松戸】!

んまぁ、これは松戸駅周辺や馬橋・北小金周辺の人は使えるけど松戸エリア全体を表すにはちょっとつらい^^;水戸街道沿いだけが使える言葉ですよね。

んじゃ、なんかないかなとググりんググりんしてみたらありましたよ!旦那!

牧の里”松戸”

「”牧”ってなんだっけ?牧場?」ぐらいにしか、今までワタクシも認識してませんでして、さんぽで小金原のいわれを読んだ時に小金牧”って言葉を見て「へ~むかしあのへん牧場だったんだ」ぐらいにしか思ってなかったんですが、調べてみたら・・・

牧というのは【野生馬保護区】

昔から馬って、馬小屋で飼って増やしてるんだと思ってましたら、ほぼ野生状態で広大なエリアに放し飼いにして、数年に一回仔馬を捕まえることで必要数を確保してたんですね。(餌やりもしなくていいし、その方が楽なんでしょうけど)

江戸幕府もその延長で、松戸周辺を【牧】として活用してたらしいのですが、そのエリアの広大なこと。


小金牧とかいうから、小金原あたりかと思ってたら
北は野田から、南は八千代市あたりまで台地はみんな小金牧!

これは、ちょっとべっくりしました。松戸市でいうと現在の武蔵野線の東側&北総線の北側はほぼ小金牧(の一部の”中の牧”)。現在の市の面積の1/2~1/3ぐらいは【牧】ってコトになります。


だとすると、松戸に住んでる1/2~1/3ぐらいの人は
「松戸って昔はどんなところだったの?」
「ん~幕府の牧の里かな・・・明治までは」
「牧ってなに?」
「今の言葉で言えば、国立野生馬保護区だよ!」

な~んて言うとイメージ良いなと!
暇に明かして妄想してみた1月の終わりなのでした^^;


ところで・・・お前さんの住んでる新松戸の昔は??
田んぼ!!それ以前は葦原!!!
大昔は海の底!!
牧にいれてほしかった(T_T)


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2017年1月31日火曜日

新松戸に会津素材&イタリアン『りすとらんて轍』オープン

土曜日”どこにお昼食べに行きましょうかね?”という段になって、思い出したのがFBのグループに投稿されていた新松戸駅近くに新オープンしたという『りすとらんて轍』さんでございます。

たしかこの辺だったよな~とうろ覚えでやってきて看板発見。

”ここですな!”と見渡してみたものの
B1なのでお店の雰囲気が皆目わからない。


お店の看板は、ちょっとファンシーなイラストにPOP体[りすとらんて]+草書体系[轍]の組み合わせ。よくあるイタリア国旗+横文字のネーミングでなく、雰囲気の予想がつきません。

ワダチ・・・車輪の跡・・・イメージを膨らませようとするけど、やっぱり雰囲気が予想つきません。会津という地名からならぬことはならぬものですと余計な連想が出て来る始末^^;

失礼な話かもしれませんが、お店の雰囲気がわからないってのはちょっと緊張もするし、怖いものです。特に飲食店の場合「こんちわ~」と扉を開けてしまったら”しまった!!”って内心思っても「さよなら~」とはなかなかいかない^^;
とりあえずその回の食事はそこでお世話になることになるわけですから、やっぱちょっとビビるんでございますね。

とりあえず外の看板に出ているランチの価格はリーズナブル。最悪ぼったくられることはないだろう(←オイ)とそろりそろりと階段を降りてゆくと・・・やっぱり和風なんですよ^^;


[会津地鶏]とかのぼりがディスプレイされているし、これが居酒屋さんなら”オッ?コギレイな入口やね!うぇぃうぇぃ!”って入ってくんですけど、イタリアレストランに入ろうとしてるのに、視界は和風。


フロア全体もナチュラルウッドでいい感じですが、他のお客様もいたのでカウンターだけ^^;

空いてた扉から、覗き込んでびっくり!
超おしゃれな空間が広がってたんですよ。

ワタクシのようなむさいおっさんじゃなくて女子会やマダムたちの食事にぴったりって店内。誕生日のお祝いなんかもここでやったら”素敵の店ね!ありがとう!”っていわるぐらいの雰囲気。

スタッフの方も丁寧かつフレンドリーという素敵な状態で、うろたえて靴を脱がずに入ろうとしたワタクシに(←だってびっくりしたんだもの)「お客様!申し訳ありません、こちらで靴を脱いでもらう仕組みです」って、怒るでなくかえって恐縮されてしまう感じ。



選んだのは、会津地鶏のスペシャルプレート(千円ちょっと也)。
写真のメインのお皿+スープとは別にサラダとライス(パンも選べます)が付く内容です。
地鶏がおいしかったのはもちろんなんですが、つけ合わせのカブとネギが甘さを引き出されてて(絶妙な火入れ加減っていうんですかね)とっても美味!


クィっと飲めるお手頃サイズのハウスワインやビールも1杯¥100で提供されております。
さらに期間限定サービスとのことですが、ギリシャヨーグルトみたいにねっとりおいしい会津のヨーグルトも今回はサービスで付いておりました。

まだ、一回しか行ってませんので断定はできませんが、つけあわせが旨いのは素材もさることながらシェフの腕がすごいトコと個人的には思っております。


ということで入口でオロオロせず
くわぬことにはわからぬものなのです^^;




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2017年1月29日日曜日

流山で3分真冬の富士登山!【浅間神社 富士塚】


タイトルだけ見たら
”むちゃブリもいいとこ”みたいなコト書いてますが大丈夫!
伝統あるレジャーです^^;


成人式ぐらいに雨の中、流山駅周辺をブラブラしていたワタクシ。
案内板を見ると『浅間神社』がある!
もしやと思って行ってみたら、ありました!富士塚!

「富士塚ってなに?」って方も多いと思うので得意のWikipedia引用しようと思いましたら、結構本格的に書いてあるので、ワタクシなりに雑にまとめますと^^;・・・・

江戸時代も中期になると世の中が安定していろんなレジャーが流行ってきまして、その中でも大人気だったのが富士登山!
時代が時代なので”信仰”の体をとってますが、ようはそこそこ裕福な皆さんが「講」というグループを組んで団体旅行を楽しむブームがあって、それにともなって富士山信仰の象徴である浅間神社も各地に創建されたそうでございます。 (※)
でもね・・・いつの時代もおんなじで皆が皆、「講」に参加して富士山にいけるとは限らない・・・だったら、浅間神社のお墨付きで地元にミニチュア富士山を作って、気軽に行った気になって楽しみましょう!ってのが浅間神社の富士塚だそうでございます。

ヒトコトで書けば江戸時代の「東京ドイツ村」みたいなもんですかね←オイ^^;


というわけで、江戸時代からお墨付きの頂上まで登れば、富士山にのぼったのと同じ気持ち・神様のご加護が与えられるかもしれない流山の富士山!さっそく登山を開始しました・・・・・がっ!!

雨が降っていて、滑りやすかったので7合目で断念!!
おっさんには富士塚でも登頂はそう簡単にいきませんでした!


数メータの塚ですが、本物の富士山の溶岩を使ってあり、簡単には登れないように(ちょっと苦労の感じが味わえるように)工夫されて作ってあります。
江戸時代の人と同じ楽しみを味わって、昔に想いを馳せるのもいとたのし!
富士塚があるって、流山って裕福で流行に敏感だったのですね^^;


※宝永の大噴火による”畏れ”も大きく影響してたと思われます。


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