2017年2月5日日曜日

触れて通れる明治時代!【新松戸 常磐線下築道】

先日、FBのグループで明治時代につくられたレンガ構造物(坂川のめがね橋)を紹介されてる方がいらっしゃいまして「そういえば地味に新松戸にも”明治のレンガ造り”があったなぁ・・・」と先週あらためてブラブラ眺めにいってきました^^;(っていっても歩いて20分ほどです)



いわれないとコレ
明治からのものに見えませんね^^;


ワタクシも、以前ネットで書いてあるのを読んで初めて明治からのものと知った次第で、そういわれないとただの古い築道ですよね^^;

場所は、新松戸と北小金の間。
常磐線開業時からのモノらしいので1896年(明治29年/120年前)から、ここでがんばってる築道さんです。(多分、新橋あたりの山手線レンガガードより古いかと)

作られた頃はクルマなんてほとんどない時代ですから、道の幅は3mありません^^;
もう、クルマがなんとか通りつけることの出来る幅・・・上の方はさすがにコンクリートで作り直したみたいですし、パッと見が暗いのを嫌ったのか内側は白くペンキで塗られちゃってます。




それにしても・・・120年もよくぞ宅地開発なんかの波に飲み込まれず残ったなぁと^^;
JRか市役所にここを残すことにこだわってくれた人がいたのかもしれませぬ^^;

幅がものすごく狭いので、信号機がついて現在相互通行で使われていますが、ここまで残したら毎日使われてる地元の方は不便でしょうが、もうずっと残してほしいなと^^;


それほど大事にされてる感もないので触って気軽に通れます!

ご近所の方、週末にブラリと如何ですか???^^;



場所はコチラ

※ものすごい狭いので通過するクルマに気をつけてくださいね^^;


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2017年2月4日土曜日

ジグソーパズルのような”字(アザ)”区分け【流山市小屋&北】

そのことに気づいたのは、遥か1年前・・・江戸川台までバスでフラっと行ってなにげなく駅前にある地図を見た時でございました。


なんじゃ?この「北&小屋」という場所の表示は???^^;

写真をよく見て(スマホだと見にくくて申し訳ない)頂くとわかる通り、写真に撮った部分だけでも”北”って表示が5ヶ所もあって、”小屋”って表示が2ヶ所・・・・

最初「1丁目・・・2丁目って、表示しなきゃいけないのを地図を作る時ミスったか?」って思ったんですが、それにしても境の線が入り組みすぎてる^^;

流山市は、ユニークな一文字字名とかいろいろあって町名表示を見ているだけで面白いのですが、これは今まで全く知りませんでした。

早速、家に帰ってからGoogleマップ(←ほんとコレ好きですよねワタクシ)で、字を強調して表示してみたら・・・・

流山市「北」を赤く表示

流山市「小屋」を赤く表示

ジグソーパズルか?コレ????∑(゚Д゚;)

【北】だと7ヶ所、【小屋】だと6箇所に飛び地して入り組みまくってるんです。多分もともとの地主さんの地所とかの関係とは思いますが、それにしてもこんなややこしいのは珍しい^^;

流山街道を有料道路の分岐の信号から北上してゆくとするとですよ・・・”南”から【北】に入って【小屋】を通って【北】を通って【小屋】を通って【北】を通って【小屋】を通って【北】を通って【小屋】を通って【北】を通って・・・・やっと”富士見台”!!!!
コピペミスったわけじゃありませんw文字で書くとこうなるんです^^;
こうなると少なくとも住所だけを頼りに訪問するとか無理ですね^^;


いままで意識しないで
流山街道クルマで走ってたけど、

こんなとんでもないことに

なってたんかぃ^^;


この記事は”おっ!珍しい!”と思ったので書いてるだけで、決してその地域をディスってる訳ではありませんのでご承知ください^^;



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2017年2月3日金曜日

新松戸駅に快速用のホーム用地ひねり出す方法思いつきましたよ^^;


新松戸に住んでかれこれン十年にもなるワタクシ。

思い出してみれば、以前は選挙の度に『新松戸に快速を停めましょう!よろしくお願いします!』と叫ぶ県会&市議の候補者がいっぱいましたが、聞く度に思っていたのが

どんな魔法使えば、
ホーム用の土地がひねり出せるねん!
って感想ですね^^;



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2017年2月2日木曜日

節分~栄枯盛衰【恵方巻きだけじゃない節分】


商魂たくましくと言うか・・・一部関西の風習がコンビニのプロモーションのおかげで全国区になっている恵方巻き^^;

ヘリクツこねますが、太巻きって切った時の見た目がキレイだから楽しいのであって、アレを1本丸噛じりしろってのは、売る方の理屈(人数分売れる)だけが見え透いちゃって好きになれないワタクシです^^;
(本来の地方の風習として食べてる地域は素敵だと思います^^;/太巻きではないらしいですね)

んで『豆まき』は基本として、他にどんなこと地域ごとにするのかなぁと思って調べたら、他にもイロイロ楽しそうな過ごし方があるのですね^^;

  1. コンニャクを食べる(「砂下ろし」といって胃腸に良いそうです/四国とか)
  2. けんちん汁を食べる(寒い時期の行事だかららしい/関東地方)

さらに、もう一個!こっちは栄枯盛衰で衰えた方なのですが【柊鰯(ひいらぎいわし)】というのが以前は盛んだったそうです。


その名の通り、柊の枝にイワシの頭を指して玄関に飾る風習らしいのですが、「なんで廃れたのか?」画像を見るとわかります^^;




シュ・・・シュールすぎる^^;

イワシに柊刺してるし・・・w
そういや去年西の方でスケートリンクにサカナを氷漬けにして問題になってたけど・・・コレハ^^;

クリスマスリースとかなら、家の入口に飾りたくなりますが、コレもう生理的にダメな人もいるんじゃないでしょうか^^;
さらにね・・・【柊鰯(ひいらぎいわし)】を飾る意味合いなんですが・・・”(鰯の頭の)臭い匂いで鬼を追い払う!!!”
いやもう・・・マンションとか密集した住宅地でやったら苦情が来そう^^;
そりゃ廃れるわな・・・と妙に納得したネタでした^^;

でもね・・・そういうわけなんで
節分の時期だけは鰯の頭臭くても
文句言わないようにしようと
心に誓ったりしたのでした^^;
(どんな臭がするのかわかりませんが^^;)




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2017年2月1日水曜日

イメージ良く松戸の昔を語ろう!【松戸の半分は昔”牧”??】

【古都京都】などと言われると言葉の調べも美しく”行ってみたいなぁ~”という気にさせられます。

昔どんな場所だったかというのは、歴史云々の面倒くさいハナシでなく、今も伝わる情緒や雰囲気として残っているから、ワタクシたちはそんなフレーズに惹かれるんですよね^^;


では、ワタクシの住む松戸はと言うと・・・【宿場町 松戸】!

んまぁ、これは松戸駅周辺や馬橋・北小金周辺の人は使えるけど松戸エリア全体を表すにはちょっとつらい^^;水戸街道沿いだけが使える言葉ですよね。

んじゃ、なんかないかなとググりんググりんしてみたらありましたよ!旦那!

牧の里”松戸”

「”牧”ってなんだっけ?牧場?」ぐらいにしか、今までワタクシも認識してませんでして、さんぽで小金原のいわれを読んだ時に小金牧”って言葉を見て「へ~むかしあのへん牧場だったんだ」ぐらいにしか思ってなかったんですが、調べてみたら・・・

牧というのは【野生馬保護区】

昔から馬って、馬小屋で飼って増やしてるんだと思ってましたら、ほぼ野生状態で広大なエリアに放し飼いにして、数年に一回仔馬を捕まえることで必要数を確保してたんですね。(餌やりもしなくていいし、その方が楽なんでしょうけど)

江戸幕府もその延長で、松戸周辺を【牧】として活用してたらしいのですが、そのエリアの広大なこと。


小金牧とかいうから、小金原あたりかと思ってたら
北は野田から、南は八千代市あたりまで台地はみんな小金牧!

これは、ちょっとべっくりしました。松戸市でいうと現在の武蔵野線の東側&北総線の北側はほぼ小金牧(の一部の”中の牧”)。現在の市の面積の1/2~1/3ぐらいは【牧】ってコトになります。


だとすると、松戸に住んでる1/2~1/3ぐらいの人は
「松戸って昔はどんなところだったの?」
「ん~幕府の牧の里かな・・・明治までは」
「牧ってなに?」
「今の言葉で言えば、国立野生馬保護区だよ!」

な~んて言うとイメージ良いなと!
暇に明かして妄想してみた1月の終わりなのでした^^;


ところで・・・お前さんの住んでる新松戸の昔は??
田んぼ!!それ以前は葦原!!!
大昔は海の底!!
牧にいれてほしかった(T_T)


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